私塾「花草舎 KaSoSha」

花草舎はともに学びながら成長するコンサル的私塾です。政治・金融・医療から起業に至るまで幅広いビジネス分野を対象にしています。

新自由主義か、分配か?

私塾「花草舎」塾頭の九兵衛です。

 

新自由主義:米レーガン大統領、英サッチャー首相、中曽根首相、小泉首相と80年代後半から90年代を通して主流となりました。神の見えざる手としての自由市場の自律的な調整機能に委ねる考え方ですね。1929年の大恐慌を救った財政政策と分配・公共事業のケインズ政策とは対局を為します。

端的には「小さい政府」を目指し、英国では国営の電話会社や石油会社が民営化され(私が初めて外国株式投資をしたのもBritish Telecomでした)、日本では電電公社がNTTに、国鉄JRグループ各社に、タバコの専売公社がJTにと「小さい政府=民営化」という流れになりました。公社などの特殊法人にとどまったのは「小さい政府=国家公務員と地方公務員の人員削減」にならなかったのはあまりに官の抵抗勢力が大きかったからです。今ではあまり使われない言葉ですが、霞ヶ関はパワーエリートと呼ばれていました。戦後の経済成長を牽引したとの自負があるからでしょうね。

バブル崩壊後の長期にわたる経済下では霞ヶ関の無策・失策や「ノー○○○○しゃぶしゃぶ」事件などがあり、パワーエリートとは誰も呼ばなくなったように思えます。

日本では竹中平蔵氏が有名です。90年代に米国で学んで新自由主義ならば、間違いない出世の安全策と言えるでしょう。慶應大学で教鞭取られた頃に、私も多くのエコノミストやアナリストとお付き合いしていましたが、あまり竹中氏のコメントや記事に際立った印象はありませんでした。

 

新自由主義グローバリズムを推進する論理的根拠でもありました。90年代のベルリンの壁崩壊⇨東西冷戦の終結と東西分裂ドイツの統一⇨欧州通貨統合によって新通貨ユーロが登場し、EU域内の労働者は国境を超えて自由に職を求めることができるようになります。その中で、企業同士も合併や買収に迫られました。それを時価主義会計が後押しします。上場企業の株式を現金を使わずに株式交換で買収できるようになったため、グローバルでM&Aが急拡大しました。それは、特に資本力が必要な製薬メーカー、金融機関から始まり、他の業種に拡大していきました。

 

さて、新自由主義というパラダイムを私なりに総括します。

  1. 自由で公正であるならば(前提)、自由主義に基づく競争社会は社会を発展させるインセンティブになり得る。
  2. しかし、必然的に勝者と敗者を生むため、格差は拡大する。その勝敗の結果は「完全に公正(フェア)であるとは言い切れないことが多い」。
  3. 各個人が一生涯、自由競争で居たいと思うのは間違い。ある時期、競争市場で奮闘し、ある時期はのんびりと田園生活を楽しみたいかもしれない。自由主義に基づいた完全に公正な競争社会だとしても「その一択しかない」というのは「人生の選択の自由」を阻害し、却って「精神的にも貧困な社会を生んでしまう」。
  4. 「リングに上がる」「ベンチで休む」「リングに上がらずに観戦する」と色々な選択肢があり、すべて最低限の生活が保障されなければならない。
  5. 特に、「リングに上がって敗れた人間」を社会全体で下支えする社会保障が必要である。

しかし、残念ながら今の新自由主義信奉者(特に竹中氏)は上記の1しか考えていないのが問題です。

 

分配復権の主張(岸田首相)

ある意味で成長の分配、所得の再分配機能は必要です。行き過ぎた格差を是正するために。ただし、ここで問題なのは「神」の存在です。

古くからある議論です。ケインズ政策は1929年の大恐慌からの脱出には効果がありました。政府が「神」となって所得を再分配する訳です。

しかし、いつの時代も腐敗が組織に進行します。その反省が自由主義であった訳です。「神」の役割を「市場が担えば良い」ということだった訳です。

岸田首相は宏池会という政策集団で主に霞ヶ関出身者のブレーンで固められています。

霞ヶ関から見れば、中央官僚が「神」であった80年代までの世を取り戻したいのでしょう。

しかし、各省庁の財政政策や補助金には美辞麗句が並びますが、その費用対効果(税金と社会の富=国民所得)は開示されない、または開示されても自己分析が不十分で多くが墨塗り。というようなことが多いという印象です。

霞ヶ関の役人を「神」と考えて全権委任することは税金の出し手としてはとてもできない」。こう思うの私だけではないと思います。

 

この2つの相反するパラダイムのバランスが必要です。私が個人的に尊敬する古人を折りを見てご紹介します。

 

塾頭 九兵衛